NPO法人 大阪狭山ファミリークラブ
歴史講座第10回「高野街道を歩く〜その2」 
千早口駅から松明屋を経て天見町駅まで
日時   : 平成18年10月21日(土)午後1時〜午後4時解散
参加人数: 42名
講師   : 松本 弘氏 (大阪府立狭山高等学校教諭、河内長野市郷土研究会副会長)
内容   : 前回は河内長野駅から三日市町駅まで歩きましたが、今回は千早口駅から天見駅まで歩きます。

       @ 千早口駅

        駅の開業は大正4年3月。当駅の南から太井を経て千早村までの千早索道が大正9年に架設され、

        昭和の始め頃まで千早村からの凍豆腐の出荷、木材等の運搬に利用された。

       A 薬師寺

        融通念仏宗の寺院で創建の経緯は明らかではないが、南北朝時代には観心寺の末寺であったと伝

        えられる。現在は薬師寺と呼ばれているが、本堂の鰐口には「薬師堂」と刻まれており、観心寺文書

        の中に「薬師寺」についての記述が見られる。北朝年号である暦応4年(1341)の刻名のある石造

        五輪塔がある。この五輪塔は建てられた年代が明らかなものの中では市内最古のもの。

       B 御所の辻

        正平9年(1354)後村上天皇が天野山金剛寺へ皇居を移す時、大和の賀名生から五条、橋本、紀

        見峠を経てこの辻で日没となりここで一夜を明かしたことにちなむ。ここにある地蔵堂の屋根や香立

        てには菊の紋章が残っている。地蔵堂には高野山、金剛山への道を示す道標がある。

       C 地蔵寺

        真言宗の寺院で本堂は享保年間、客殿は正徳5年(1715)の建立。本尊の地蔵菩薩像をはじめ四

        天王像、弘法大師像、阿弥陀如来像、愛染明王像などの仏像が安置されている。延命寺を再興した

        淨厳和尚の甥であり弟子である蓮体和尚が元禄4年に(1691)に再興した。

        本尊の地蔵菩薩半伽像は仏師北側運長の作と伝えられており、寄木造(像の高さ61.8p)で、目に

        玉をはめ込み、漆を塗った上から金箔が貼られている。

        境内は大阪府の名勝に指定されており、春は石楠花、夏はホトトギスが楽しめ、秋は紅葉が美しく、

        冬は静かな雪の寺になることもある。

       D 松明屋

        御所の辻から旧高野街道を少し南下した右手に「松明屋」と横書きした額と、「粽大師松明堂」と縦

        書きの表札を掲げたお堂がある。お堂の脇には樹齢何百年とも知れぬ大木があったが、現在は切り

        株が残されている。この大木は松明屋の由来となった木で、むかし弘法大師が高野山を開くため京

        都から旅の途中、この地で夜が明けたので持ってきた松明を地に突き立てて去った。この松明が根

        付いて大木となったと伝えられる。また大師に粽を差し上げたところ、たいそう喜ばれ、この粽に永久

        不滅のまじないをしたという。その後、ここで粽を作るようになり、この粽を病に苦しむ人々に施すと

        病が直ったので、高野山参詣の人々にも勧めたところ、みな喜んで土産として持ち帰った。

       E 馬こかし・一里山

        松明屋を南へ大豊橋を渡り、国道371号を南へ進んだ辺りを一里山と呼び、国道の西側に「高野山

        女人堂江七里」の里程標が建っている。馬こかしは馬返しの意で、天見小学校のある旗南と呼ばれ

        る辺りに水飲場がありそこをウマコカシと呼んでいた。旅人は、馬を下り徒歩で紀伊見峠へ向った。  

       F 南天苑

        堺大浜公園に大正2年開業した「大浜潮湯」の別館「家族湯」が、室戸台風(昭和9年)により倒壊、

        昭和10年、南海鉄道が開発を図っていた天見温泉地に移築され再生された。「家族湯」は、明治の

        名建築家辰野金吾が手がけたとされる。

       G 蟹井神社

        天喜2年(1054)の創建と伝えられる。社名は、天見川に蟹井の淵という深淵がありそれより当社の

        神体が出現したことに由来する。祭礼は10月9日夜、氏子達が高提灯を仕立てて集まり、祇園囃子

        (伊勢音頭)を唄いながら本殿前に提灯を林立させ、湯立神事が始まる。翌日の「御輿振り」は、若者

        達が繰り出した御輿を、境内の松の大木にぶつけるという荒々しいもので、平安中期日吉山王から

        伝わった。ぶつけることにより神威を高め、豊作を祈願し、病魔災禍を封じる厄除けのために行う。

       H 出合の辻

        天見駅から国道371号に出たところの信号をそのまま西に直進すると道は左右に分かれ、右の方

        の道が旧高野街道で、そこの橋が出合橋です。太平記に安満見合戦の記述があり、ここの出合橋

        付近が攻防の地点のように言われているがはっきりしない。出合いという言葉は、合流の意と川の

        合戦の意味とがあり、この付近は流谷・天見の合流点でもある。

       I 天見駅の解説

        駅の開業は大正4年3月。天見〜紀見峠間の複線化工事(昭和54年5月完成)のため、天見駅と

        紀見隧道北口の間には第一出合・第二出合・第三出合の三つの隧道が掘削され線路は直線化され

        た。かつての蛇行していた単線の跡は遊歩道となっており、暗渠のレンガ積などに往時の線形を伝

        えている。

薬師寺本堂

御所の辻・舟形地蔵道標

地蔵寺

松明屋

南天苑

蟹井神社

廃線跡暗渠のレンガ積

天見駅駅舎
もとに戻る