NPO法人 大阪狭山ファミリークラブ
歴史講座第12回「大阪狭山市の鉄道暗渠と
  狭山藩上・下屋敷等と狭山池博物館の見学
日時   : 平成19年6月16日(土)午後1時〜午後5時解散
参加人数: 29名
講師   : 松本 弘氏 (大阪府立狭山高等学校教諭、河内長野市郷土研究会副会長)

内容   :「大阪狭山市内の7つの鉄道暗渠」

        南海高野線の狭山駅と大阪狭山市駅の間は桜木の植わる築堤となっています。このあたりは土地が

        低く水がたまりやすい地形のため、大雨時に水没しないよう堤を築きその上に線路を通しました。

        この土は、三国ヶ丘駅〜堺東駅間の切通し工事で削った土を運んできたのではないかという説が有力

        です。この築堤により地区が分断される地元池尻の人たちから高野鉄道に対し通路や水路となるトンネ

        ルを通すよう意見書が出されました。こうして築堤には大小のレンガ巻きのトンネルが7つ開かれました。

        高野線のうち狭山〜河内長野間は1898(明治31)年に単線で開通、その後1937(昭和12)年の複線

        化の際に下り線側を拡張したため、各アーチ橋の複線による継足し部分はコンクリート構造になっている。

        @一号暗渠(第40号拱渠)

        レンガの積み方は、アーチ部分が長手積みで、内側の直立する壁(側壁)と入口上部のふちどり(坑門)

        及び入口から両側に向かう翼壁が、小口積みと長手積みを各段交互に積む「イギリス積み」です。

        この積み方は、当時のアーチ構造物に一般的にみられるスタイルで、ここに紹介する他のアーチ橋も同じ

        構造となっている。断面は半円アーチで、弓なり部の直線距離(径間)は2.44m(8フィート)。足下地下

        には狭山池から太満池へ向かう水路がある。

        A二号暗渠(第41号拱渠)

        幅と高さを確保するために、欠円アーチで設計されている。アーチの始まりと終わりの荷重がかかる部分

        (スプリングライン)には、レンガよりも強い力に耐えられる花崗岩の迫受石を置いている。径間3.05m

        (10フィート)、通路北側に水路がある。

        B三号暗渠(狭山里道暗渠)

        この辺りは盛土がかなり高くなっており径間も3.66m(12フィート)あるため、半円アーチであるが断面

        には余裕がある。

        C四号暗渠(第42号拱渠)

        住宅地にある水路専用で径間1.52m(5フィート)しかなく、アーチ端部の巻厚は3枚しかない。

        D五号暗渠(狭山里道架道橋)

        府道富田林狭山線に架かる径間6.10m(20フィート)の架道橋で、高野線全線で最大のアーチ構造物。

        欠円アーチで迫受石があり、アーチ端部のレンガは5枚巻と厚い。山車や自動車の通行可能である。

        E六号暗渠(第43号拱渠)

        径間、構造とも一号暗渠とほぼ同じであるが、空頭はさらに低く、身をかがめてやっと通行できる。

        F東除川暗渠

        狭山池から流れ出た東除川の水が築堤を通るための水路で、線路に対して斜めにアーチをかけるため、

        アーチ部分のレンガをねじって積んだ「ねじりまんぼ」の構造を持つ。非常に珍しい構造で国内で25カ所

        だけ確認されている。断面は径間3.66m(12フィート)の単心円。

       「狭山藩東新町(東新宿)・西新町(西新宿)・並松町」の形成

        奉行片桐且元の下で、1608(慶長13)年から着手された狭山池の改修工事の終了に伴い、30人の樋

        役人が設置された。これらの樋役人は、片桐且元の臣下が帰農したものであった。2−3年後に狭山池の

        西除川付近に7人増員して37人となった。これら樋役人の居住地として狭山池東側に30軒(東新町)、

        北西側に7軒(西新町)の町並みが出来た。

        次いで狭山藩上屋敷(東除川北側)及び下屋敷(狭山遊園地跡)の造営に伴い領主・家臣団の生活に必

        要な物資を供給する商業地が両屋敷に挟まれる地域に出来た。商業地は並松町と称され、江戸末期に

        は御宿・米屋・大工・左官等の商人・職人が多数居住した。

        「狭山池博物館の見学」

       
狭山池は、少なくとも7世紀の初め頃、西除川の流れをせき止めて存在した日本最古のダム式ため池で、

        堤には東樋と西樋が設けられていた。狭山池の改修には、奈良時代の行基、鎌倉時代の重源、江戸時

        代の片桐且元など歴史上の有名な人物が携わってきました。

        館内は7つのゾーンに分かれ、1400年の歴史が重なる堤、水を取り出す樋、堤の滑りを防ぐ木製枠工

        (堤の基礎を補強する木組)などの貴重な土木遺産が移築展示されています。

        中でも第1ゾーンに展示されている高さ約15m、幅約62mの堤の実物断面(改修の度に堤を高くする『

        かさ上げ』の跡が残っている)と、第2ゾーンの長さ約60mにわたる飛鳥時代の東樋と江戸時代の東樋の

        実物展示は圧巻です。


一号暗渠

二号暗渠

三号暗渠

四号暗渠

五号暗渠

六号暗渠

東除川暗渠

狭山藩陣屋跡石碑
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