NPO法人 大阪狭山ファミリークラブ
歴史講座第13回「(西)高野街道を歩く〜その3」
千早口駅から三日市町駅まで
日時   : 平成19年9月22日(土)午後1時〜午後5時解散
参加人数: 29名
講師   : 松本 弘氏 (大阪府立狭山高等学校教諭、河内長野市郷土研究会副会長)
内容   : 昨年開催の歴史講座第9回「高野街道を歩く〜その1」では河内長野駅から三日市町駅まで、続いて第

       10回「高野街道を歩く〜その2」では千早口駅から天見駅まで、今回は千早口駅から三日市町駅までを歩

       きました。

       @千早口駅と千早索道の解説

       千早口駅の開業は大正4年3月。当駅の南から太井を経て千早村までの千早索道(千早村−千早口駅間

       約5q)が大正9年に架設され、昭和の初め頃まで千早村からの凍豆腐の出荷、木材等の運搬に利用され

       た。

       A御所の辻

       正平9年(1354)後村上天皇が天野山金剛寺へ皇居を移す時、大和の賀名生から五条、橋本、紀見峠を

       経てこの辻で日没となりここで一夜を明かしたことにちなむ。ここにある地蔵堂の屋根や香立てには菊の紋

       章が残っている。地蔵堂には高野山、金剛山への道を示す道標がある。

       B清水地蔵寺

       真言宗の寺院で本堂は享保年間、客殿は正徳5年(1715)の建立。本尊の地蔵菩薩像をはじめ四天王像,

       弘法大師像、 阿弥陀如来像、愛染明王像などの仏像が安置されている。延命寺を再興した淨厳和尚の甥

       であり弟子である蓮体和尚が、元禄4年に(1691)に生まれ故郷の清水村の地蔵寺を再興した。

       本尊の地蔵菩薩半伽像は仏師北側運長の作と伝えられており、寄木造(像の高さ61.8p)で、目に玉を

       はめ込み、漆を塗った上から金箔が貼られている。運長は淨厳和尚を師と仰ぎ、蓮体和尚とも密接な関係

       を持ち、河内長野近辺及び関東にも多くの彫像を残している。

       C岩瀬薬師寺

       融通念仏宗の寺院で創建の経緯は明らかではないが、南北朝時代には観心寺の末寺であったと伝えられ

       る。現在は薬師寺と呼ばれているが、本堂の鰐口には「薬師堂」と刻まれており、観心寺文書の中に「薬師

       寺」についての記述が見られる。北朝年号である暦応4年(1341)の刻名のある石造五輪塔がある。この

       五輪塔は建てられた年代が明らかなものの中では市内最古のもの。

       D岩瀬西国巡礼三十三度満願供養塔

       西国三十三度行者とは、ミニチュア霊場観音本尊三十三体等を納めた笈(御背板)を背負い、西国三十三

       所観音霊場を1年間に2−3回、11年前後の期間で三十三度廻る行者の事。伝承によると満願供養の儀

       式は、二夜三日にわたって繰り広げられ千人余の人々が参集したといわれ、三年ほど前から準備に取りか

       
       かり「米百石、百両の金」を要したともいわれている。

       E石仏阿弥陀寺(石仏寺)・大師井戸

       新町から南へ旧高野街道を行くと石仏の集落があり、その南の端にあるのが阿弥陀寺である。阿弥陀寺

       の本堂は江戸時代の再建であるが、本尊の石仏阿弥陀如来像は弘法大師の作といわれ大地にあった岩

       をそのまま彫ったものとも伝えられている。近くに水質の良い清水が湧く井戸があり、この井戸も弘法大師

       ゆかりの井戸と伝えられている。

       F新町(庚申堂)地蔵寺

       昔の新町村の中央、国道の西側に一対の石柱があり、「一国一宇庚申」「百度標法当山庚申堂」の銘が

       ある。鳥居奥の本堂正面に「一国一宇庚申堂」の額が掲げられ、中には青面金剛本尊を祀る。堂は明治

       14年の建立ではじめは天台宗延暦寺末の法当山地蔵寺という寺であったという。当地に庚申を祀るように

       なったのは江戸時代初期と考えられ、河内における第一の庚申堂として庚申参りの日は賑わったという。

       G三日市宿(八里道標)

       大阪から8里、堺から4里半の三日市は高野山までの中間点に位置し、隣の上田村と共に往還御用(宿駅)

       を承り人馬が整えられていた。旅籠が10軒以上も建ち並び、高野詣でや西国巡礼の客で賑わい、高野鉄

       道の長野駅が出来るまでの三百余年、河内名所図会や西国三十三所図絵に見られる賑わいを示した。

       宮家諸侯の本陣の一つであった油屋では往年から小塩の潮水を邸内に引込み浴室を設け錦渓温泉と称し

       て客を迎えたのが当たりこの地の名泉となった。

       三日市川にかかる高野橋手前に「是ヨリ高野山女人堂江八里」の道標がある。

       H三日市町駅

       明治40年に高野鉄道の事業を受け継いだ高野登山鉄道は、大正2年5月長野〜橋本間の路線延長工事

       を起工、翌年10月三日市駅まで翌々年3月橋本まで全通させ、現JR和歌山線との連絡に成功した。


地蔵寺本堂

地蔵寺境内の満願供養塔

御所の辻地蔵堂

岩瀬薬師寺

北朝年号の五輪塔(薬師寺)

新町庚申堂

三日市宿(八里道標)

三日市駅前の道標
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