| NPO法人 大阪狭山ファミリークラブ | |||
| 滝谷不動駅から錦織一里塚を経て汐ノ宮駅まで | |||
| 日時 : 平成17年9月10日(土)午後1時〜4時 | |||
| 参加人数 : 29名 | |||
| 講師 : 松本 弘 (大阪府立狭山高等学校教諭、河内長野市郷土研究会副会長) | |||
| 内容 : 今回は、6月に歩いた富田林甲田から滝谷不動駅間に続き、松本先生の案内と解説で同駅から錦織 一里塚を経て汐ノ宮駅まで歩きました。見学コースは @ 近鉄長野線滝谷不動駅についての解説 近鉄長野線の柏原‐長野間の工事着手は明治29年6月で、明治31年4月に柏原‐富田林間が開通 続いて明治35年3月に富田林‐滝谷不動間、同年12月に滝谷不動‐長野間が順次開通した。路線は 単線で線路延長は16.5kmであった。 A 錦織遺跡 石川の左岸河岸段丘上の標高75m程度に立地する遺跡で、この遺跡から縄文時代前期(紀元前3千 年頃)の縄文土器片が出土している。現在のところ富田林市内では最も古い遺跡である。 B 石川河川敷(古代象の足跡化石が発見された場所) 1989年9月、石川の100万年前の河床地層から古代象(アケボノ象)とシカの足跡化石が発見され た(古代象の足跡化石は全国三例目)。3年前から石川周辺の地層と植物化石を調べ続けた富田林 高校理化部員たちの地道な努力が発見につながった。 C 聖音寺 西国33ヵ所名所図会で錦織山称音寺として紹介されている。大字錦織の西南聖音字山の高台にあり 錦織村の村落や石川が見渡せる。本尊は伝説で楠正成とかかわりのある如意輪観音で丈6尺余り、 弘法大師の作と称されている。柿本人麻呂(疑問)の石碑も存在している。 D 細谷川 石川は、かつて河内長野市の北部から北西方向に流れていたが(現在の天野川の下流部分にあたる )、地殻変動により現在の石川の谷の部分が沈降して天野川の谷より低くなってしまい、本流は天野 川の谷を流れる事ができなくなった。このような現象を河川争奪(天野川の上流部を奪い取って、現在 の石川の流路が出来上がった)といい、こうした地盤の動きは現在も続いているとみられ、須賀付近を 通る府道沿いの深く刻まれた谷(細谷川)がそれをあらわしている。この河川争奪は今から約20〜40 万年以前に生じたといわれている。 E 竹筏士と竹屋仲間帳 石川流域には河川争奪により出来た崖地を利用した竹林が多く、この竹を筏に組んで運搬する人々が いた。彼らは竹筏士と称して仲間を結成し代表者として惣代や年行司を置き、惣代は大和川下流の 安立町で竹筏問屋を営む竹屋作兵衛家が代々務めた事など、資料(竹屋仲間帳・年行司一覧表)を交 えて説明された。富田林市や河内長野市の竹すだれ・竹篭などの竹細工産業はこの流れに拠るもの である。 F 明治31年当時の長野線のレンガ造りの暗渠 G 錦織一里塚 旧国道170号線東側に松林の茂る小高い土盛があり、そこに宝きょう印塔が2基ある。この土盛が東 高野街道沿いに設けられた一里塚の片方で、もう一方は幅約2mの旧東高野街道の断片を挟んで木 立ちのなかにある。この宝きょう印塔の一つが西国三十三度行者の供養塔で現在判明している中で 一番古いものである。 H 汐ノ宮温泉 汐ノ宮温泉は、汐ノ宮駅東側にあり古くから療養泉として知られていた。汐ノ宮天満宮境内にある岩間 から塩分を含んだ冷泉(食塩炭酸泉)が湧出していたため、この名前が付けられたといわれている。 昭和10年9月大阪鉄道(現在の近鉄電車)が温泉経営に乗り出し、昭和12年7月には大鉄百貨店も 営業開始。大阪から日帰り又は一泊で楽しめる温泉保養地として宣伝された。 河内長野市には、汐滝・小塩・汐ノ宮のように「シオ」の付く地名があるが、これらはいずれも炭酸泉の 湧出する地で、それが地名となった。 I 汐ノ宮火山岩 汐ノ宮駅から東へ進み石川に架かる千代田南橋付近から川原に下りると、両岸に規則的な割れ目の たくさん入った黒っぽい火山岩が見られます。この割れ目は溶岩が冷えて固まる時に体積が収縮して できるもので柱状節理といいます。この辺りの火山岩は約1500万年前の噴出とみられ汐ノ宮火山岩 と名付けられています。 |
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![]() 錦織遺跡 |
![]() 古代象の足跡化石がみつかった |
![]() 錦織の聖音寺 |
![]() 細谷川斜面の竹林 |
![]() 長野線のレンガ造り暗渠 |
![]() 錦織一里塚の宝きょう印塔 |
![]() かつての汐ノ宮温泉方向を望む |
![]() 石川川原の柱状節理 |
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