NPO法人 大阪狭山ファミリークラブ
 歴史講座第7回「東高野街道を歩く〜その4」 
汐ノ宮駅から原の十三仏を経て河内長野駅まで
日時   : 平成17年11月26日(土)、午後1時〜4時解散
参加人数: 31名
講師   : 松本 弘 (大阪府立狭山高等学校教諭、河内長野市郷土研究会副会長)
内容   : 前回は滝谷不動駅から錦織一里塚を経て汐ノ宮駅までの東高野街道をたどりましたが、今回は東高野

       街道を歩く最終版として、汐ノ宮駅から河内長野駅までを歩きました。見学コースは

      @ 茶屋坂と宮坂

       近鉄汐ノ宮駅付近から東高野街道への坂道を「茶屋坂」という。茶屋(休憩所)があったことから名付け

       られたと伝えられている。街道の西側大神宮燈籠近く入った所に「阿弥陀寺」があったが廃寺となった。

       千代田神社東側の坂道が「宮坂」で錦織一里塚より近鉄線踏切をこえた坂の下に「孝子地蔵」がある。

       「左まきのを道」と刻まれた道標であるが、母子の巡礼旅の話が伝えられ地蔵の名前の由来となって

       いる。

      A 千代田神社

       もとは菅原道真を祀る菅原神社であったが、明治40年に市村の木戸神社、向野の伊予神社が合祀され

       た。ここには2体の木造男神像がある。その中の1体は袍のところどころに梅花紋が残っていることから

       菅原神社の主神で菅公として祀られていたと思われる。

      B 東高野街道と巡礼街道の分岐点にある道標

       千代田神社から近鉄汐ノ宮駅に向かう道と東高野街道と交差する辺りが市町で、ここを右に折れて街道

       を南下すると三叉路(長坂分岐)となる。ここから斜め右へ進むのが巡礼街道で槇尾山へ通じている。

       左が東高野街道で急な「長坂」を下ると向野へと通じる。この分岐点に自然石の道標があり「右まきのふ

       左かうや」と記され、中央には仏を表す文字が刻まれている。

      C 晴明塚

       西高野街道「原の辻」から堺方面への坂(石坂という)を登りつめた所に「晴明塚」と彫られた石碑がある

       。伝説によると陰陽師・天文博士である安倍晴明がここに陰陽推算の書を埋めた場所とされる。

      D 原の十三仏

       巡礼街道と西高野街道が交差する地点が「原の辻」で自然石の道標が2基ある。近くの阿弥陀寺跡には

       十三仏板碑が二つありその内の一つが三十三度行者の満願供養の石造板碑である。この供養碑は現在

       までに確認された最も古い碑(寛永11年・1634年)である。いずれも舟形石碑の中央に十三仏像が「四

       段三列一尊」の形に刻まれている。

      E 古野の行者堂と膳所藩代官所跡

       古野町には大峯信仰の行者堂と大峯登山の石碑があり、また石段右下に「是より高野山女人堂九里」と

       しるされた道標も建っている。行者堂に至る手前、向野から本多町に通じる広い道路沿いに膳所藩代官

       所があったとされ、市村新田の開発や寺が池の築造を行った中村家が郷代官を務めた。

      F 古野極楽寺

       融通念仏宗の河内六別時の一つで錦部別時(道場のこと)である。縁起によると聖徳太子の創建とされ

       その後荒廃していたが、当山中興の祖法明上人が再興し阿弥陀仏を本尊とした。本堂(文政元年建立)

       庫裏とも堂々とした建物で他に鐘楼、薬医門、観音堂がある。三十三度行者の満願供養碑も数基ある。        

汐ノ宮駅の解説

宮坂下の孝子地蔵

千代田神社本殿

長坂分岐の道標

晴明塚

原の十三仏

古野行者堂

極楽寺薬医門
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