NPO法人 大阪狭山ファミリークラブ
歴史講座第9回「高野街道を歩く〜その1」 
河内長野駅から烏帽子形八幡神社を経て三日市町駅まで
日時   : 平成18年7月15日(土)午後1時〜午後4時解散
参加人数: 19名
講師   : 松本 弘氏 (大阪府立狭山高等学校教諭、河内長野市郷土研究会副会長)
内容   : 前回まで「東高野街道を歩く」4回シリーズで、富田林寺内町から河内長野まで歩きましたが、今回は東

       高野街道と(堺から南下してくる)西高野街道が合流する河内長野駅前の本町から三日市町駅まで歩

       きました。この道は、「高野街道」として紀見峠をへて高野山に向かいます。

      @ 長野神社

       正徳年間(1711−16)頃までは「木屋堂の宮」あるいは「牛頭天王宮」と呼ばれていたが、慶応4年

       (1868)に長野神社と改称された。石川流域のこの辺りは、木材の集散地であったため木屋堂の名で

       呼ばれていた。

       この神社の本殿は、一間社流造りで、正面に千鳥破風と軒唐破風がつき、屋根は檜皮葺です。昭和25

       年に重要文化財に指定されている。

      A 市場(西條合資会社旧店舗)

       長野神社付近から石川(旧西條川)までの一帯は、旧街道に沿って当家住宅や吉年家住宅など比較

       的町並がよく残っている。西條家の創業は享保年間で、当初は菜種油を主とした油屋を営んでいたが

       6代目より酒造業を始めたという。現在は、古来金剛寺で醸造された「天野酒」を中心に製造している。

       当家は、街道を挟んで北側に現在の酒蔵と事務所があり、南側には国登録文化財のサカミセと呼ばれ

       る旧店舗と土蔵があります。

      C 蓮光寺

       ここにはかつて地蔵寺という真言宗の寺があったが明治初年廃寺となったため、後継者のいない狭山

       の蓮光寺の名跡移転に檀家衆が奔走し、昭和6年許可された。

      D 大日寺の石地蔵尊

       境内西側に集められた石造物の中に地上高94pの地蔵尊らしき石仏がある。昔はこの石仏を「ヤソ

       地蔵」と呼んだといわれる。形は普通に見られる舟形ではなく、上部が丸みを帯びており尊像もお顔が

       中央にあり、全体に下に片寄った感がある。

      E 烏帽子形城跡

       標高182mの烏帽子形山頂に築かれた中世から織豊時代にかけての山城で、伝説では楠木正成が

       築いた楠木七城の一つと言われている。しかし残されている土塁や空堀などの城の縄張りや発掘され

       た礎石建物や瓦などから、現在の姿は天正12年(1584)にと豊臣秀吉が小牧・長久手の戦いに際し、

       紀州側への防衛として修復させた当時のものと考えられている。

       織田信長が畿内を平定した元亀から天正にかけて、城主として2名のキリシタン大名がいたことが、

       フロイス「日本史」やイエズス会日本年報に記されています。烏帽子形は南河内のキリシタンの拠点と

       なり、教会も建てられていました。

      F 烏帽子形八幡神社

       烏帽子形城跡の東山麓に位置し、発見された棟札(重要文化財指定)によると文明12年(1480)に

       石川八郎左衛門尉が入母屋造りの社殿を建立した。本殿は入母屋造り檜皮葺きで、正面三方に縁を

       めぐらして正面中央に擬宝珠をつけた5段の階段がつけられている(本殿は昭和25年に重要文化財

       指定)。この神社の境内には、徳寿院、高福寺という天台宗の宮寺があった。楠木正成の信仰篤く、

       後村上天皇が賊難を避け吉野に逃げた時、ここの梵鐘を持ち運ばれたといわれ、今も奈良県五條市

       西吉野町賀名生の堀家に伝えられている。梵鐘には「河内国高福寺鐘康永元年癸午八月楠木氏

       奉献」の由来が刻まれている。

      G 地蔵の辻

       ここの道標には「右さかい大坂、左いずみ」と刻まれている。ここから西へ行けば、よしや峠を経て

       高向、天野、更に和泉へ通じている大津街道となる。

      H 増福寺

       畠山義深は、河内国守護職を辞めた後この地に隠居所を設けた。彼の死後、村人達は一寺を建立

       すると同時に彼の法名をもって寺号とし増福寺と名付けられた。本尊は地蔵菩薩半跏像で、左手には

       上田・観音寺の本尊、十一面観音菩薩立像が安置されている。

      I 三日市交番

       間口2間、奥行き6間、一部2階建て(面積12坪ほど)木造建物。昭和初期の木造派出所の現役建築

       として貴重。

      J 月輪寺

       本尊は伝承では弘法大師作と伝えられている木造薬師如来坐像で、近村では「三日市のやくしさん」と

       してよく知られている。月輪寺縁起には、平安時代初め頃、長野村に住んでいた諸越長者が空海から

       薬師如来を与えられ大切にしていたが、長者が亡くなってから妻が郷里の三日市に戻り、現在の月輪

       寺の場所にお堂を建てこれを本尊として安置したと伝えられている。

      K 三日市宿

       三日市宿は堺より七里、次の紀見峠の宿まで三里の位置に当たる。三日市宿は宿駅として、幕府の

       規定により泉州堺と紀州紀見峠の間を伝馬25匹、人足25人でもって公用義務を果たしている。宿駅

       の北端には高札場があって、荷馬賃や人足賃を定めた高札が烏帽子形八幡神社に残されている。

       また、南端の高野橋の近くには「高野山女人堂江八里」「安政4年三日市宿」の里程石が残っている。

      L 油屋跡

       高野山御用宿として江戸時代以降栄える。幕末には南下してきた天誅組が油屋で休息し、観心寺を

       経て五条陣屋を攻撃した。
       

吉年家の大銀杏

長野神社

大日寺の石地蔵尊

烏帽子形八幡神社

地蔵の辻の道標

三日市交番

月輪寺

三日市宿南端の里程石
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